映画『さよなら、人類』(2014)
恵比寿ガーデンシネマで映画『さよなら、人類』を観てきました。劇場の会員になって半ば強制的に映画館を日常に取り込む個人的な試みが上手くいっています。当然ですが、毎作品観ている訳ではないです。映画の冒頭で強制的に何度も観せられるプロモーションに影響されています。CMは重要ですね。当然ですが。
以下、ネタバレです。一連の映画評はごくごく個人的な見解なので、あまりあてにされませんように。当然ですが。
さて、『さよなら、人生』は面白グッズのセールスマンであるヨナタンが主人公の映画です。テーマは「どのように死に至るか」つまり「どう生きるか」ということでした。
冒頭で死のパターンが3つ示されます。
- 博物館で自分だけ興味がある剥製を観ている内に倒れる。(すでにウトウトしてました!所々、観てません、、)
- ワインボトルを開けようとして心臓麻痺で倒れる。台所で料理を作っている妻は気がつかない。
- 子供らに遺産をたかられながら死の床にいる。
- 食堂で男が死んでいる。支払い済みのランチを誰か食べる人?の問いにおずおずと手を上げる男。(3パターンでなくなってますが気にしない)
どんな死に方が理想ですかね。1.とかは本人は楽しそうです。2.はよくありがち。3.は悲しい感じ。4.は誰にも関心をもたれないという、、、それぞれどんな生き方をしてきたのか予想がつく気がします。皆さんは、お元気そうで何よりです。
真ん中は飛ばします。
クライマックスでは、恐ろしい殺人機械というか殺人器械が出てきます。素材はおそらく銅でスウェーデンの非鉄金属大手BOLIDEN社製。(映画とは関係ないですが、「独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構[JOGMEC]BOLODEN 検索結果」)
クライマックスでは、恐ろしい殺人機械というか殺人器械が出てきます。素材はおそらく銅でスウェーデンの非鉄金属大手BOLIDEN社製。(映画とは関係ないですが、「独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構[JOGMEC]BOLODEN 検索結果」)
どのような器械かというと、直径が人間の3倍のコーヒー焙煎機のような器械です。それには、所々にラッパが付いていて中の人の悲鳴が聞こえるようになっています。人々を鞭打ち、その殺人器械に入らせドアを閉めると、下から火がつけられます。
恐ろしいのは、だんだんと筒が回転し始めるのです。中で熱せられた人々は底の部分が熱いため、上の方にと逃げようとします。すると筒が回転してしまうため、いつまでたっても熱いまま、悲鳴がだんだんと大きくなっていきます。
次のショットは、殺人器械から「こちら」側が映されます。こちら側は映画館のスクリーンを象徴するベランダです。ガラス越しにカーテンを開く人がいます。ヨナタンです。中から老人たちがぞろぞろとテラスに出てきます。ヨナタンはそんなお客たちにシャンパンを注いでまわります。
ヨナタンはエンターテインメントグッズのセールスマンをやめてしまおうか苦悩しています。殺人器械の余興に、ウェーターとして加担したのが夢なのか現実なのかわからなくなります。
つまり、ロイ・アンダーソン監督がヨナタンの販売しているような誰も犠牲にしない罪のないエンターテインメントを提供するのか、儲かって面白ければOKな他人に犠牲を払うようなエンターテインメントを作るのかという対比になっています。
もちろん、我々視聴者も「どんな映画を観るか」「何をどう商うか」「どう生きて死んでいくか」を問われるということです。
フェデリコ・フェリーニの『8 ½』やフランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』と同じカテゴリにロイ・アンダーソンの『さよなら、人類』は入ると思いました。ジャック・タチっぽくは無かったです。強いて言えばセットの非現実感でしょうか。
テーマはだいたいこんなところだと思いますが、冒頭とクライマックスの間には、絵画的で演劇のセットのようなシーンがちりばめられています。シンプルライフが好きな方は北欧的な非現実系インテリアの見本としておすすめです。
頭落ちの雰囲気世界観系の映画でした。
『A Pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existence』(原題)を『さよなら、人類』にしてしまう輩は、殺人器械にガンガン人を押し込むタイプだと思います。恐ろしいのは、だんだんと筒が回転し始めるのです。中で熱せられた人々は底の部分が熱いため、上の方にと逃げようとします。すると筒が回転してしまうため、いつまでたっても熱いまま、悲鳴がだんだんと大きくなっていきます。
次のショットは、殺人器械から「こちら」側が映されます。こちら側は映画館のスクリーンを象徴するベランダです。ガラス越しにカーテンを開く人がいます。ヨナタンです。中から老人たちがぞろぞろとテラスに出てきます。ヨナタンはそんなお客たちにシャンパンを注いでまわります。
ヨナタンはエンターテインメントグッズのセールスマンをやめてしまおうか苦悩しています。殺人器械の余興に、ウェーターとして加担したのが夢なのか現実なのかわからなくなります。
つまり、ロイ・アンダーソン監督がヨナタンの販売しているような誰も犠牲にしない罪のないエンターテインメントを提供するのか、儲かって面白ければOKな他人に犠牲を払うようなエンターテインメントを作るのかという対比になっています。
もちろん、我々視聴者も「どんな映画を観るか」「何をどう商うか」「どう生きて死んでいくか」を問われるということです。
フェデリコ・フェリーニの『8 ½』やフランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』と同じカテゴリにロイ・アンダーソンの『さよなら、人類』は入ると思いました。ジャック・タチっぽくは無かったです。強いて言えばセットの非現実感でしょうか。
テーマはだいたいこんなところだと思いますが、冒頭とクライマックスの間には、絵画的で演劇のセットのようなシーンがちりばめられています。シンプルライフが好きな方は北欧的な非現実系インテリアの見本としておすすめです。
頭落ちの雰囲気世界観系の映画でした。